Pちゃんです。
今回は、僕の言語聴覚士(ST)3年目のことについて、書きます。
3年目を迎え、徐々に仕事にやりがいを感じてきた時期でした。
職場環境は依然として悪かったので、そろそろ辞めて違う職場を探そうと考えていた時期でもあります。
3年目を迎えるにあたって、また先輩が辞めてしまい、代わりに新人を投入することになりました。しかも、この時点で僕がST部門で一番上の立場になってしまいました。
同期がひとりいましたが、面倒なことは一切やらないと公言する非常にスタンド能力(精神力)の高いヒトで、必然的に僕がST部門を引っ張らざるを得ない状況でした。
当時のST部門の構成員 3年目2人 2年目1人 新人1人
理学療法士(PT)部門の構成員 10年目以上5人くらい 3年~8年目 5人くらい
1,2年目5人くらい
作業療法士(OT)部門の構成員 10年目以上1人 3年~8年目 4人くらい 新人1人
こうしてみると、ST部門が明らかに分が悪いのが分かります。
毎年、リハビリテーション科で予算が割り当てられ、PTなんかは結構、高価な機械を導入してましたが、我々はあまり予算を頂けませんでした。
理由は、PTは学会発表とかでエビデンスを出しているが、STは学会発表するヒトが少ないし、経験浅いし、そんなに必要ないでしょ、ということでした。
(ちなみに当時、1000万くらいする動作解析の機械をPTさんたちは導入してましたが、それを使って学会発表をしているヒトはあまりいなかった気が・・・。)
納得せざるを得ない状況でもあったので、それなら学会発表や論文を書いて、認めてもらうしかないと思い、3年目も学会発表をしました。
2年目→3年目で変わったこと
・先輩がいなくなり、責任が増した。(といっても役職などはなく、ペーペーのまま)
・比較的大きめの学会で発表をした。
・飯をおごれば何でも言うことを聞くPTの後輩が出来た。
STの先輩が全ていなくなったせいで、責任と雑用が増えました。
基本的に、後輩の失敗は僕の責任(なんか半沢直樹みたい・・・)。
パソコン苦手なのに、電子カルテ導入準備スタッフに任命。
なぜかプログラムまで書かされる。(もはやSTではなく、SE)
おかげでパソコンスキルが上がりました。苦手なことにチャレンするのも悪くないですよ。(その分、かなり残業しましたが。)
2年目に小さな学会で発表したので、3年目は嚥下リハ学会で発表したいと思い、準備をしてました。しかし、部長の意向(というかほぼ命令)で、違う学会での発表に切り替えられました。
当時、僕が勤めていた病院は全国組織の系列病院でした。互いの交流と研鑽を積むために、毎年、各地の系列病院が持ち回りで、学会を主催してました。
たまたま、ウチの病院が主催者(病院長が大会長)だったらしく、部長はリハビリテーション科でも学会発表しないと格好つかないと考えてたようです。要するに、部長の点数稼ぎだったんです。
そこで、僕に白羽の矢が立ったようです。ほかに2名ほど、巻き添えをくらったPTとOTがいましたね。
全国組織というだけあって、学会はそこそこの人数が集まりました。
ただ、リハビリテーションだけでなく内科や外科、小児科、放射線科など、多種多様な職種の発表の場でした。
無事に終わって一息ついていると、「次は論文ね。」と部長に肩をたたかれ、発表内容を論文にまとめることに。このあと書くことになる論文が、僕の人生に大きな影響を及ぼすとは、この時点では、知る由もありませんでした。
研究発表を通じて統計学の知識が必要だと痛感したことと、なんとなくST以外の道を模索してみようと思って、早稲田大学人間科学部の人間情報科学科(通信課程)に入学しました。ほぼ全てオンラインでの授業で、学費は高かったですが、その分クオリティも高く、統計学や認知心理学、情報科学など、とても役に立つ講義が沢山ありました。
プライベートな変化としては、
飯を奢れば、何でも言うこと聞く後輩(PTの新人くん)が出来ました。
僕はクルマを持ってなかったので、彼のクルマによく乗せてもらいました。
その都度、飯を奢っていたので、アッシーとメッシーのような関係ですね。
大人のDVDを購入する際にも、お付き合いしてもらい、とても助かりました。(クルマでしか行けない遠い場所にお店があったので)
最初は申し訳なさそうに飯を食っていた彼ですが、下記のように徐々に本性を出してきました。
①出会った当時 ラーメン屋にて
僕「好きなもの食べなよ。」 後輩「ありがとうございます。同じ物でいいです。」
②3ヶ月後 ファミレスにて
僕「好きなもの食べなよ。」 後輩「ハンバーグ定食、大盛りで。」
③半年後 びっくりドンキーにて
後輩「チーズバーグディッシュ大盛りとフライドポテト1皿」 僕「・・・。」
④1年後 モスバーガーにて
後輩「テリヤキバーガーセット、モスチキン付けて」 僕「・・・。」
という感じで、我々の関係性も次第に変化していきました(笑)。
ちなみに、今でも彼とはとても仲良しです(笑)。
職場を変えようか迷っていましたが、ステップアップするには、まだ足りない部分が多い気がして、このまま残ることにしました。
このような感じで、3年目が過ぎていきました。
ありがとうございました。