Pちゃんちゃんの小言

日々思うことについて、徒然なるままに綴っていきます。

言語聴覚士 新人時代について

Pちゃんです。

 

今回は、僕の言語聴覚士(ST)の新人時代について、書いていきたいと思います。

 

僕の新人時代、実は記憶が曖昧なんです。

新人時代の約1年間の記憶だけが、あまりないんです。

ヒトは精神的に大きなダメージを受けると、脳がわざと思い出せないようにするという噂を聞いたことがありますが、まさにそんな感じです。

要するに辛かったので、思い出したくないんです笑。

思い出そうとすると、冷や汗や脇汗が出てくるので、サッサと本題に入りたいと思います。

 

国家試験合格後、いろいろとすったもんだがありながら、関東にある400床程度の急性期病院に勤務することになりました。

リハビリテーション科に配属。理学療法士(PT)12~13名、作業療法士(OT)5名くらい、僕を含めてST4名。

部長はPT。PTとOTはベテランの方が多く、STは5年目と3年目の先輩が1名ずつと新人2名という、非常に肩身の狭い環境でした。

ベテランのPTやOTからすると、我々はかなり頼りにならない人種だったらしく、事あるごとに「うちのSTはダメだ。」とか、「経験が浅い奴しかいないから、ダメだ。」とか、よく言われました。

当時の職場は、

パワハラが日常茶飯事

・PTの権限が強い。パワーバランスはPT>OT>ST

誤嚥は命にかかわるが、骨折では死なないからという理由で、PTやOTより責任が重い

・定期的に症例報告という名の公開処刑がある。

・医師にへつらう。

・何かあると責任を取れと言われる。(責任を取れる訳がないので、ひたすら怒られる)

・遅くまで残って仕事をするのが美学

・なのに、残業代を申請すると嫌味を言われる。

・有給休暇を取ろうとすると、もちろん、嫌味が待っている。

・なので、ほぼ有給休暇を取らない。

・有給休暇を取れるのはスタンド能力(精神力)の高いヒト

という環境でした。殺伐とした雰囲気でしたね。

3年くらいで辞めるヒトが多かった気がします。

 

脳梗塞急性期の患者さんが多かったので、MRIやCTの画像をみる必要があり、学校では教えてくれなかったので、最初は苦労しました。

心電図や血液検査の見方も全く分からず・・・。

DM=糖尿、CI=脳梗塞とか、カルテや指示で略語が飛び交うので、これも苦労しました。たまに指示書を全て略語と英語で書いてくるツワモノ医師もいて、困りました。

そういえば、略語辞典を買いましたね。

先輩に聞いても教えてくれないどころか、逆に怒られるので、自分で勉強するしかありません。当たり前ですけどね。

僕がやってたリハビリの質も低かったと思います。イラスト見せながら、口の体操とかやってましたね。あまりエビデンスないので、途中からやめましたが・・・。

嚥下訓練もやってましたが、ほぼ食事介助。

看護師からは食事介助要員とみなされる始末で、僕は介護職員なのかなと思うことが多々ありました。職場環境もあいまって、毎日、卑屈になりながら過ごしていました。

 

新人という理由で、あまり患者さんを担当させてもらえず、周りからは暇人扱いされ、事務作業や雑用、昼食の買い出しなどのパシリもよくやってました。(パッシーというあだ名を付けらました笑)

 

総じて、STに対する理解が低い職場環境だったと思います。

経験年数がものを言う職場環境だったこともあるので、早く3年くらい過ぎてくれないかなあと毎日、思ってました。

 

とにかく、毎日、誰かにバカにされたり、嫌みを言われたりした記憶しかない新人時代だったと思います。

頑張ろうと思っても、具体的にどう頑張っていいか分からないので、

セミナーとか勉強会に行く

 →関係のない分野のセミナーにも行くので、あまり仕事の役に立たない。

・マニュアルに飛びつく。

 →現場ではマニュアル通りにいかないので、結局、テンパる。

空回りというか迷走していた気がします。

 

結構、ひどい新人時代だったと思います。これ以上は思い出すのも辛いので、ここまでとさせて頂きます

ありがとうございました。